「濃い」についてのダイアローグ

対談

多屋光孫 M)今日は「こ」から始まる言葉。
 「こい」は?

濱中伸幸 N)「松山千春?」

M)「恋」も「鯉」もあるけど、「濃い」ってどう?

N)うすい、こいの濃い?

M)東京で「脂っこい顔」って言ったら通じなかった。


N)「醤油顔」とか「ソース顔」とか言うよね。なんかくどい奴のことを「濃い」って表現する感じかなあ。

M)「醤油顔」「ソース顔」は、最近は、聞かなくなったね…と思ったらめっちゃ増えてるやん(笑)。https://woman.mynavi.jp/shindan/190904-2/


一方、少しでも炎上のリスクがありそうな表現は、どんどん薄められてきている気がする。
例えば、「ちびくろさんぼ」とか「ジャングルクロベエ」みたいな黒人差別と見做される恐れのあるものとか?


N)昔は大丈夫だった言葉でテレビでも放送されていた番組が放送できなくなっているよね。
レインボーマンの「死ね死ね団」っていうのもあったね。

M)桃太郎の話も随分と表現が変わってきているの知ってる?

N)桃を食べてお婆さんが若返って桃太郎を産んだ説は聞いたことがあるけど。

M)そっちの話じゃなくて、猿、雉、犬を「家来」という言葉を上下関係無くして「仲間」にとか、
きび団子をあげて家来にする行為そのものも、もので釣るのは良く無いって話。
他にも、鬼退治に行って成敗するシーンも戦いは、よく無いから、大声でびびらせてやっつけたことにするとか。


N)そんなの無茶苦茶。本来のストーリーから大きく変わってしまうし、なんか薄っぺらいなあ。

M)僕らが知っているグリム童話も最初の話はとっても残酷なシーンがいっぱいあったらしい。例えば、シンデレラはお母さんを殺して、その後の新たなお母さんとその連子いじめられるという展開に
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/cinderella/29.html

N)昔話って地域によっては結末が違ったりするって聞いたことある。

M)使ってはいけない言葉を言い換えたりするのって、今もあるよね。いわゆる忌み言葉。

N)「終わり」じゃなくて「お開き」とか。

M)濃いから少しそれてしまったので戻そう。
醤油の濃口は塩分濃度が低くて、薄口醤油うは塩分濃度が高いって知ってた?

N)最近料理をするようになって知ったよ。濃い色の方が塩分多そうだけどね。
 濃い、薄いで言えば、人生の濃さと薄さってどう思う?
 ざっくりと人生の濃い薄い2つに分けてみたんだけど。
一つは生まれてから死ぬまでずーっと貧乏な人と生まれてから死ぬまでずーっと裕福な人のどちらも変化のない人生。もう一つは貧乏から裕福になった人や裕福から貧乏になってまた裕福になった人などはアップダウンが激しい人生。
アップダウンのある人生の方が濃い人生って思うんだけど。

M)貧乏な人も裕福な人もそれぞれ濃い人生を歩んでいるように思うけど。

N)まあ、どう感じるかは人それぞれだけど、生きている価値観は一つの中で生きているような気がする。パンがなければお菓子を食べれば良いって。

M)マリーアントワネット!

N)ずーっと貧乏も嫌だけど、ずーっと裕福もつまんない気がする。知らんけど(笑)

M)人生の彩りの話で言えば、また親父の話になるんだけれど、いつもご機嫌で話す内容の一つが、ドイツで貝を食べてその貝殻を鉄兜の中に捨てた話。あとカナダのバンクーバーで食べてシャケの握りが世界で一番美味しいって語る。親父にとっては何回も同じ話をしているのだけれど、その濃い体験が口に出るのだろうね。

N)濃い体験って「感動」なんだ。

M)そういや俺もよくする話があって、小学校の時にちんちんをカミキリ虫に噛まれた話と社会人になってからはメキシコで虫を食べさせられた時の話。
あと2人でこういう話をしていて実話ってことがわかった話。
幼稚園の時に2人で遊んでいて、おしっこに行きたくなって我慢できなくなってトイレの扉を開けた瞬間におしっこをぶっ放した時に親父がトイレの中にいて、親父におしっこを引っ掛けた話。
俺的には夢の中の出来事だと思っていたんだけれど、のぶちゃんに「みっちゃんのおっちゃんにおしっこかけたの覚えている」って聞いた時は脳内がスパークした。
あれは本当だったんだ!っていう一連の話はネタになっている(笑)

N)幼稚園時代はよく2人で遊んでいたのと、この年になっても当時の話を反芻しながらお酒を飲むから、記憶の鮮明さが衰えないよね。
変化のない日常では同じ行動パターンで時間を過ごしているから記憶に残らないけれど、非日常空間の体験や経験は脳が活性化して記憶として残るんだろうね。濃い経験として。

M)そう濃い経験。

N)記憶に残るってことは時間が凝縮されて記憶されるから濃いのかも。

M)そうね、おしっこの話はいっぱい覚えている。昔商店街の店の前は空いている溝蓋があって水が流れていたけれど、溝蓋が無いところで大人も子供もおしっこしていたよなあ。

N)今じゃ考えられないけれど、立ちションしている人が普通にいる空間だったなあ。

M)そうそう、「立ちションしたら警察に捕まるでえ」なんて言いながらみんな立ちションしていた。そういや当時エックスライダーが流行っていて、友達とおしっこをクロスさてエックスにしようとしたら、彼におしっこひっかけてしまって『わーきたねえ』ってなったの覚えている(笑)

N)昔話がイキイキして感じるのはみんな外で活動していたからかもしれない。
今は2次元でスマホの画面の中に意識が取り込まれ、その中で擬似体験をしているだけのことが多いと思う。

M)濃い経験で言うと会社員で海外出張に行った時とか?いろいろな国に行って活動したんだけど、ビジュアル的に普段見るものとは全く違うものが飛び込んで来るし、言葉も違うし、脳みその回路がくるんとひっくり変える感覚があった。
わずか2年間くらいの出来事だけど、日常からの脱却という面で、非日常に飛び込んだ時に新しいアイディアが生まれてくるのかもしれない。

N)脳が活性化した濃い体験が創作の種になっているんだ。

M)今は前より創るスピードが落ちてきているのだけど、それって細かいところに目がいくようになってきたのもあるかもしれないけれど、自分の中での濃い体験というかインパクトが減ってきたので創作の衝動が薄れているのかもしれないと感じた。
よく言われるアーティストトリップのススメってそういうこと。

N)慣性の法則というかホメオタシスっていうか、人間の脳って変化を嫌う機能があるから、一定の頑張りで成功してしまうとその状況に満足してそこで終わっちゃう人がいる。
それとは逆にもっと新しい何かを求めて新しいステージを求める衝動にかられる人もいる。
「もこれでいい」っていう人と「もっとできんじゃないの」っていう人。
ネガティブとポジティブとかいう言葉じゃなくて、好奇心の強い弱いというか、新しい濃い経験を求める力があるから創作意欲を掻き立てるのだと思う。

M)僕の場合は絵を描いていても同じものをずぅーっと描き続けたいとは思わない。
常に新しいものを見たら、新しいものを取り入れたいと思っている。過去のものも現在のものも出来不出来は当然あるんだけれど、新しいものを取り入れることによってその時に一番出したいものを出すって感じ。

N)作家によっては時代と共に作風が変わっていく人がいるよね。

M)人によっては同じものを出し続けてファンの期待に応えている人もいる。
僕ら世代は尾崎豊じゃ無いけれど、昔からひられたレールの上を歩むのか否かが背景にある。

N)サラリーマンにはなりたくない!ってやつ。尾崎豊の熱量に感化された時代があった。

M)当時は、ネガもポジも濃い時代だった。

N)結局はみんながいい会社を目指して勉強して、入社した会社で定年まで勤め上げるレールに乗っている人が多い世代だけど、僕らはそのレールから降りている時点で、また違った人生を歩んでいるよね。

M)もっと濃い人生にしたいと思っているよ。でも他の人よりは胃袋がデカくなっているというか、いろんなもの食ってるっていうか。

N)それはあると思う。カーネールサンダースや伊能忠敬のように人生の後半から大仕事をした人からしたら、まだまだ何かしらのことができると思うし、そうしたいと思う。

M)いろんな景色を見たいよね。会社辞めてから20冊以上絵本を出版しているけれど、まだまだ色々なものを出していきたい。自分の表現したいものをもっとたくさん世に出したいと思う。

N)もっと濃縮したもの。

M)原液的なものね。

N)まだまだ、これからいろんな経験をして人生自体を濃いものにしたいよね。

「作品も人生もより色濃くしていきたい」 By多屋光孫



多屋 光孫(たや みつひろ)絵本作家・挿絵画家。和歌山県田辺市出身。3歳より田辺市の洋画家、故益山英吾氏の洋画研究所で絵を学ぶ。実家は本屋(南方熊楠ゆかりの多屋孫書店)。2015年8月まで二十ん年、普通に会社員(海外営業・広告宣伝など)をやっていたが脱サラし画家活動を開始。一般社団法人 日本出版美術家連盟理事(事務局長)

濱中 伸幸(はまなか のぶゆき) ブランドクリエイター。和歌山県田辺市出身。実家は紳士服店。元百貨店婦人服バイヤー。2011年株式会社ハッピーアイ設立。エンカラージオンラインショップ企画運営。ファッション専門学校非常勤講師

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