「きわめる」についてのダイアローグ

対談

多屋光孫 M )今日は「き」
何かを追求する意味で「極(きわ)める」ってどう?
最近大谷翔平選手の10年7億ドルの契約金が話題だけど、まさに極みの世界。

濱中伸幸 N)ほぼ同じ年齢の野茂英雄がドジャーズの入団時の年棒は980万円だからね。それでも、野茂投手のメジャー挑戦は、当時の常識を覆す行動だし、誰もがメジャーで活躍するなんて思わなかった中で結果を出した先駆者。

M)大谷選手で言えば、ここまでパフォーマンスが上がるとは思わなかった。もはやイチロー選手さえも超越しているよね。

N)二刀流という意味で、160キロの球を投げた後、バッターとしてホームランを打つ。
誰もやっていないことを実現したユニコーン。

M)新庄剛志がマウンドに上がるのとは、えらいちがう(笑)

N)新庄のピッチャーも当時話題になったよね。(笑)←(2人とも阪神ファン)


M)人間の中にある尺度の中で、上手くなりたい、強くなりたい、かっこよくなりたいなどと追求していく姿勢が行動原理としてあるけれど、その極み。
また、野球の話になるけど、金本選手のインタビューで、「ホームラン何本打ちたいか?」に「打てるものなら何本でも打ちたい」って答えていたのを覚えている。

N)何本って言った時点で、自分の目標値に制限された世界になってしまうのを嫌った発言かも。

M)頂点のその上を極めたいという欲求のあらわれ。極めるって日本人好きだよね。

N)世界最小サイズとか、米粒に絵を描くとか(笑)

M)ギネスに挑戦とか、記録を塗り替えるなんて表現も心に響く言葉。
昔の話になるけれど、王選手のホームランの世界記録も日本中が熱狂していたなあ。

N)野球に限らず、今のプロスポーツって元々は遊びから始まっている過程があるから、人間って競いあい、高みを極めていきたい欲求があるんだろう。

M)そうだね。「極み」で言えば、決め技とか必殺わざとかも関連する言葉。
野球で言えば、消える魔球とか、分身魔球。プロレスの卍固め。
特撮の世界で定番のライダーキックやスペシウム光線。色々とばらけた例になってしまったけれど、特訓の末、極めた技を観るカタルシス。


N)「わざ」で言えば、高校時代の剣道部を思い出す。僕は背が高い方だから、リーチもあって、「面」が得意技だった。相手が技を出そうと踏み込んでくる初動のタイミングで相手より先に面を打つ。相手の動きを探りつつ「今っ」という時に飛び込んで決めるのが快感。

M)僕の場合はレスリング。「正面タックルを制するものは世界を制する」という誰が言ったかわからない格言?があって、一人の時もひたすら壁に向かってタックルの練習をしていた。
11kgの減量したり…けっこうまじめにやってたんやなあ?でもレスリングの技って地味なものも多い。
観ている人には分かりにくいと思うけど、ツボに入ってひっくり返されたられたら1発アウト。

N)究極の技は、技をかけるまでに勝負がついている。剣道で言えば、構えた姿がもう強い。知らない人は何もしていないのにと思うけど、知っていると強さがわかる。

M)そういえば、自分より強いなあと思う相手に勝ったことがある。力もスピードも顔の怖さも相手の方が自分を上回っていて、このまま行けば負けると思い、どうせ負けるにしても一矢報いてやろうと思い必殺技を出したら、試合終盤でそこそこの点差で逆転していた。
相手ももしかしたらこいつすごく強いんじゃないかと勘違いしたみたいで緊張して攻めてこなくなった。
駆け引きで勝ったという感じ。

N)成功体験として、印象に残る勝ち試合は、別の自分がその内容を俯瞰して観ている光景として記憶に残っている。
もちろん面越しに相手を観ている記憶もある。

M)スポーツの例が続いたけど、人間って生死の淵の極限状態から生還した人って、大きく自己変容するっている話もあるね。絶体絶命の時に、今までの人生体験が「走馬灯」として蘇ると聞くけど、あれは、脳が今までの経験から生き延びるための手段を検索しているという説がある。大きな危機を乗り越えた人は一皮も二皮も剥けた自分に生まれ変わって、良いパフォーマンスを発揮する。死線から帰ってきた革命家とか映画監督とか小説家とか偉人の業界アルアル。一種の都市伝説。究極の体験をすることで潜在能力が開花するって言うことはあると思う。

N)究極って言葉はある価値観の延長線上にある果てと言う意味にも取れるけれど、まだ未開拓のもの、よくわからないものを極めるってあるのかなあ。

M)絵の話なるけれど、ここ数年のAI(人工知能)の発達がすごいと思う。小説でもAIを活用した芥川賞作家(https://www.cnn.co.jp/style/arts/35214148.html)が出てきていてクリエイティブの世界技の磨き方とか求められるスキルはかなり変わってくる気がする。
どんなに発展しても、人間にしか出来ない情緒的な創作の部分とAIがカバーする部分の棲み分けは残ると思うけど。
絵の世界でも、既視感のあるイラストなんかは、それっぽくかなりの精度で再現されて、個性の乏しいイラストレーターや記号化された絵みたいなのは、かなり淘汰されて厳しくなるんだろうなあと思う。
仕事を失わないためには、極めるのも大事だけど常に変化(進化)し続けないと。

N)脱皮って言葉があるけれど、今の自分を脱ぎ捨てて新しい自分に変態する。それは極めるための手段ってことだ。

M)まだまだ話題は極まっていないかもしれないけど、最後の締めで究極のTKG。(https://www.takaratomy-arts.co.jp/specials/tkg/
究極の卵かけご飯になるか疑問だけど5〜6千円かけて卵かけご飯を作る機械を買うことについては極めようという情熱がすごく感じられ感動しました。


多屋 光孫(たや みつひろ)絵本作家・挿絵画家。和歌山県田辺市出身。3歳より田辺市の洋画家、故益山英吾氏の洋画研究所で絵を学ぶ。実家は本屋(南方熊楠ゆかりの多屋孫書店)。2015年8月まで二十ん年、普通に会社員(海外営業・広告宣伝など)をやっていたが脱サラし画家活動を開始。一般社団法人 日本出版美術家連盟理事(事務局長)

濱中 伸幸(はまなか のぶゆき) ブランドクリエイター。和歌山県田辺市出身。実家は紳士服店。元百貨店婦人服バイヤー。2011年株式会社ハッピーアイ設立。エンカラージオンラインショップ企画運営。ファッション専門学校非常勤講師


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