多屋光孫 M)最近。めっちゃ暑いよね。
濱中伸幸 N)京都も暑すぎで日中外に出るのが怖いくらい。
M)雨の振り方もすごい。局地的にザーッと、日本じゃないみたいな感じ。
N)今までに無い気候の変化が、身体に応える。年をとったのもあるけど、今年は何か変な感じ。
M)去年はエアコンなんてあまりつけなかったのに、今年はつけっぱなし。世の中が急激に変わりつつある気がする。東京も沖縄みたいになるのかな。
N)異常気象。
M)地球温暖化じゃなくて沸騰化してる。
N)話変わるけど、追加のTシャツ届いた?
M)届いた!好き勝手Tシャツ明太子!この柄よく売れてる!
N)いい感じやね!
M)秋冬も継続して作っていきたいね。トレーナーとかパーカーとか。
N)ロングTシャツもいいね。
M)今回、本屋さんとかゴールデン街のバーとか色々な場所で販売してるからね。
N)ネットでも買えますよ。https://encolorage.thebase.in/
M)前回「な」で始まる言葉「泣き寝入り」って決めたけど、ネガティブワードすぎるかな。明るい話題がいいよね。「夏の思い出」とか。
N)じゃあ、夏の話題で進めよう!今年の夏は田辺に帰ったの?
M)家族でお盆に帰ったけど、粛々と親父のことを弔う時間で終わってしまった。
N)家族で過ごす田辺って良いね!
M)昔は夏休みって言うとぴょんぴょんしてたのに、これといったことは何もなかった。
N)子供も大きくなってくると一緒に過ごす時間のテンションも落ち着いたものになってくる。
M)お盆は8月って思っていたけど、東京の人に言わせれば、東京のお盆は7月らしい。
N)今、初めて聞いた!8月はお盆休みで帰省のニュースも毎年やってるよね。
M)なぜ7月なのかなあ?
N )ネットで調べたら、東京、神奈川、石川、静岡の各一部の地域は7月中がお盆らしい。
M)同じ日本なのに、不思議だね。あっ送り火せずに帰ってきてしまった!
N)田辺に帰っただけでも、おっちゃんも喜んでると思うよ。
M)夏の話題でいえば、「スイカ割り」でもそんなにやったことない。
N)田辺に住んでいた時に店の前でやった記憶があるのと、子供達が小さかった時に嫁の実家でやったくらい。
M)自分が小さい時にやった記憶はある。実際にスイカを割った記憶も。その後割ったスイカを食べた記憶もあるのだけど、それだけ。
N)昔はスイカ大好きで赤いところが無くなるまでかじっていたけど、最近はすでに食べやすいように切られている状態でしか食べないね、しかも買ってまで食べたいと思わない。まあ、昔はいろんな人からもらっていたからね。
M)スイカとかかき氷とかみつ豆とか、夏の風物詩的なものを昔は楽しんでいた。
M)夏の風物詩で言えば、「花火」この間田辺に帰った時は白浜の花火大会が中止になって残念だった。
N)南海トラフ地震注意で白浜町が取りやめたんだよね。
M)タクシーの運転手さんに残念だって話をしたら、今は弁慶祭りの花火大会の方がすごい規模でやっているって教えてもらった。
N)昔の弁慶祭りは花火なんかあげてなかったと思うけど。
M)それが弁慶祭りの日程で地域最大の田辺花火大会をするようになったらしい。ちなみに今年の弁慶祭りは10月4日(金)5日(土)
N)時代というか、普段住んでいないから、色々変わっていても知らないままだ。
田辺の花火大会ってしょぼかったのにね。
M)7月末くらいにやってた。子供の頃は毎年行ってたね。
N)商店街の店が協賛金を払っていたね。
M)そうそう、今からの花火は上田家具提供ですとか放送されていた。多屋孫書店は出てなかったけど(笑)いろんなところが協賛してた「天光組」とか。
N)白浜の海水浴場でローカルの花火大会で、子供が小さい時に5千円払って1発打ち上げてもらうのをやったのを覚えている。「京都市在住の濱中くんの願いは〇〇です」とか放送してもらった。
M)みんなに願いを聞かれるのはいややなあ(笑)自分やったら「トランシーバー買うてほしい」ってお願いしてたかも。
N)プロポーズ的なのにも使っていた。「何々さん、好きです」って感じ。
M)そういうのよくあるね。
あと夏といえば「田辺祭り」今年当番で上下(かみしも)着て出る予定だったけど、無くなってしまったから、4年後は出たいなあ。親父の上下(かみしも)を大切に保管している。
N)上下着てお傘と一緒に歩くのってやってみたかったなあ。
M)上下に入れる家紋だけど、多屋家のは「丸に蔦」
濱中家の家紋もあるでしょ?
N)うちのは「丸に二引き」
M)それ書きやすくていいなあ。
家紋って上下だったりお盆だったり、家が代々続いている歴史のしるし的な感じ。
田辺祭りも何百年も続くお祭りなんだけど、南新町も人が少なくなって町内の人だけで回せなくなってきている。
N)みんな平野部から高台の方へ移り変わってるしね。僕らももはやそこには住んでいないし。
M)お笠の横の幕も黒字に金の龍が描かれたのが古くなって、新しく青地の幕に新調されたのがとてもショックだった。
N)そうそう、僕らのお笠じゃなくなってしまった感がある。
M)上に載っているお人形さん4体はまだそのまま。あれは4つの町が合併して南新町になったから4つあるって聞いた。
N)須佐之男命、牛若丸、新田義貞、潮汲みの4体
南新町は、町内を東組・南海組・西組・天日組の4組に分け、4年に一度廻ってくる当番組が祭に参加します。「須佐之男命(すさのおのみこと)」(東組)「牛若丸」(南海組)「新田義貞」(西組)「汐くみ」(天日組)はそれぞれの組の守り神
M)僕らは天日組やと思う。
N)僕はお稚児さんを3回やってる。3回目は急遽誰かの代わりに出た。
M)いいなあ、だったら花火3回もらったんや。
N)お稚児さんとして太鼓や笛の練習の後、大量の花火もらえたからね。
M)1年ではやりきれないくらいの量の高級花火をもらってた。今コンビニで売っているようなやつじゃなくて、箱に入っていて立派な花火。何かで知ったけど、日本の花火は時間が経つほど良い色の光を放つらしい。それと手で持ってする花火は日本特有らしい。
N)手で持つ花火じゃないけど「へび」(黒い塊で火をつけるとクネクネと蛇のように姿を変える)とかあったね。あれ好きやった。
M)ああ懐かしい。駄菓子屋で売ってた「妖怪けむり」
今はもう作っていないようだけど。
N)線香花火。誰が最後まで光の玉を落とさずにいるかを競う。
M)ロケット花火も大浜で海に向かってやっていた。今はダメだろうね。ロケット花火で思い出した。
N)ロケット花火も楽しかったなあ。
M)夏の思い出といえば、高校のレスリング部の合宿の夜の記憶がよみがってきた。顧問の先生が部員全員でも食べきれないくらいの肉の量を買ってきて残さず食べろって。みんな泣きながら食べきった。その後、飯盒で炊いたお米ででっかいおにぎりを3つ握って、「今から隠し芸大会をする。チャンスは2回。面白くなかったやつにこのおにぎりを食わす」って宣言。
N)さすがレスリング部やね!
M)阿鼻叫喚の中、みんな必死で面白いことをした記憶がある。うちの先生プーチンより酷かったかもしれない。極限状態から生まれる芸が面白かったのかもしれないけど。
N)僕は剣道部。夏の合宿で素振り1000本とか色々なキツイ練習をして、このまま倒れたら練習しなくて済むという意識を戦いながら耐えたのを思い出す。当時は水を飲んではいけない時代だったから、途中休憩も何も飲まずにじっとしているだけ。練習後に飲んだレモン水は、今まで生きてきた中でも一番美味かった。
M)水を飲んだらあかん時代やったなあ。先生トイレ行ってきますって言って、トイレで水をがぶ飲みしたのを思い出した(笑)
N)今の子は自由に飲めるから良いよね。
M)夏に食べるかき氷とか、泳いだ後に食べるカップヌードルとか記憶にあるね。
N)三四六(みよろ・地名)にあったプール。
M)あったなあ、スポーツセンター!
N)スポーツセンターで泳いだ後、黄色いカップヌードルの自動販売機で食べた。いつもより数倍美味しい。
そう思えば自転車に乗って、いろんなところに行って泳いだね。
M)ひき岩(ひきがえるの形に見える岩がある場所)とか奇絶峡とか。
N)小学生だけで自転車に乗って、川に遊びしていたね。岩から飛び込んだり、流れの急なところにわざと吸い込まれてみたり。
M)サンダル流されたのを覚えている。下で釣りしていたおっちゃんに拾ってもらった。
N)今思えば、小学生だけでいろんなところに行っていた。親なんか誰もついてなかったね。
M)川と海両方近かった。山も近くて、クワガタ取りに行ったりもした。
N)田辺の夏の記憶やね。
M)じゃあ、今回は「夏の思い出」ってことにしよう!
【会話の主】 登場人物
多屋 光孫(たや みつひろ)絵本作家・挿絵画家。和歌山県田辺市出身。3歳より田辺市の洋画家、故益山英吾氏の洋画研究所で絵を学ぶ。実家は本屋(南方熊楠ゆかりの多屋孫書店)。2015年8月まで二十ん年、普通に会社員(海外営業・広告宣伝など)をやっていたが脱サラし画家活動を開始。一般社団法人 日本出版美術家連盟理事(事務局長)
濱中 伸幸(はまなか のぶゆき) ブランドクリエイター。和歌山県田辺市出身。実家は紳士服店。
元百貨店婦人服バイヤー。2011年株式会社ハッピーアイ設立。HAPPYEYEブログ、エンカラージオンラインショップ企画運営。
ファッション専門学校非常勤講師
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