「勝負」についてのダイアローグ 祝田辺高校甲子園出場

対談

今日は当日甲子園球場に応援に行った濱中伸幸Nと東京で会議をしていた多屋光孫Mの対談。

私たちの母校 和歌山県立田辺高校は春の選抜高校野球大会に21世紀枠で出場 
3月18日(第1日)第2試合で石川県星稜高校と対戦。惜しくも4対2で敗れる。

今日のテーマは「勝負」


M)甲子園どうだった?シーソーゲームだったよね。あっシーソーじゃなかった。シーソーは試合の中で勝っていたり負けていたりを繰り返すゲームだから。

N)でも、2回に1点取られて3回に1点取り返し、4回に1点取られてその裏に1点取り返してすごいゲーム。

M)ジャイアントキリングの予感すらあった。

N)試合前は優勝候補の星稜に大差をつけられないようにと思いつつ、一緒に見にいった友達をこの試合が「事実上の決勝戦」と冗談言い合っていた。でも試合が始まってやっぱり1点先制されたと思って見ていたらすぐに取り返したので、3回裏から応援席がめちゃめちゃ盛り上がって、早くも「田辺が大将」の応援できたのが最高だった。来てよかったなあってみんなで喜んでいた。

M)応援が凄い。

N)試合が始まる前に星稜とエールの交換をするときに、応援団長が学ランを着た女の子でびっくりした。

M)チアリーダーはいたの?

N)エンジ色のユニフォームを着た子が何人か。

M)どの辺りで観ていたの?

N)一塁側アルプス席の最前列。目の前にライトの選手がいる場所。

M)ピッチャーの寺西君、球の出どころが見えにくいって聞いたけど、

N)星稜のバッターもみんな打ちあぐねていたね。9回に点数を入れたれてしまったのは代打で背番号20番の東くんって子だった。そういう采配ができるのがやはり強豪校なんだろうね。


M)でもよく最後まで投げ切ったよなあ。

N)8回表のピンチも最後は空振り三振でしめた時は痺れた。

M)3番4番バッターにはヒットを許してない。

N)寺西くんの成績 対戦打者38人 投球数139球 被安打8 奪三振5 与四球2 与死球1 自責点3

M)9回裏の2点を追う攻撃も凄かったよね。

N)4番の山本陣世くんのあたりが抜けていれば、、、

M)この試合で一番深いところまで飛ばした。
 その後キャッチャーの前田くんがヒットを打って、ピッチャーの寺西くんが2塁打。ワンアウト2、3塁まで行った。

N)このとき「田辺が大将」連呼してた!

M)その後が続かず終わってしまったけれど、とても見応えのある試合だった。

N)悔しいなあってみんなで、何度も何度も。

M)夏に期待したいよね。

N)和歌山県内では智弁和歌山とかに勝っているからね。

M)同じ和歌山の耐久高校はどうだったか知ってる?

N)千葉の中央学院に7対1で負けてるね。

M)今回は21世紀枠で出れたけれど、夏は智弁和歌山や耐久などに勝たないとね。

N)昔は勝った高校の校歌しか流れなかったけど、今は両校の校歌が序盤の試合の途中で流れる。何十年ぶりの校歌斉唱で感慨深かった。

M)ちゃんと歌えた?

N)ところどころ、ゴニョゴニョした。

M)いい経験やね。

N)試合の後の選手のコメントでピッチャーの寺西くんが「相手も同じ高校生」という言葉を使っていたのだけど、堂々と投げ込んでいた姿と重ねて心が鷲掴みにされた。

M勝利を掴むことはできなかったけれど、私たちの心を鷲掴みにした最高の試合だった。


多屋 光孫(たや みつひろ)絵本作家・挿絵画家。和歌山県田辺市出身。3歳より田辺市の洋画家、故益山英吾氏の洋画研究所で絵を学ぶ。実家は本屋(南方熊楠ゆかりの多屋孫書店)。2015年8月まで二十ん年、普通に会社員(海外営業・広告宣伝など)をやっていたが脱サラし画家活動を開始。一般社団法人 日本出版美術家連盟理事(事務局長)

濱中 伸幸(はまなか のぶゆき) ブランドクリエイター。和歌山県田辺市出身。実家は紳士服店。元百貨店婦人服バイヤー。2011年株式会社ハッピーアイ設立。エンカラージオンラインショップ企画運営。ファッション専門学校非常勤講師

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