
多屋光孫 M)今日は「ほ」
なんかホッとする。個展が終わっていろんな案件が矢継ぎ早に来ているけど、まずはひと段落って感じ。
濱中伸幸 N)お疲れ様でした。たくさんの人が来場してくれてよかったね。
M)よかった。でもホッとするのも束の間、色々やらないといけないことがあるの。
N)ホットスポットというか、熱い時期を迎えている感じ?
M)まあそうだね、、、唐突でごめん、「ほ」に戻ると「ホームレス」。ホームレスのサッカーチームの話、したかな?
N)いや聞いていないよ。
M)以前スマイルサッカーのイベントの時、一橋大学の先生がホームレスのサッカーチームを作っているって話を聞いたの。国際試合で韓国とかと対戦したりしているみたい。
N)えっ、ホームレスなのに国際試合しているの?
M)そうそう。どんな人がチームにいるかというと、年齢がめっちゃ上で元板前さんとか、10代くらいの若者っていうか年齢がはっきりしない少年もいて、年齢のばらつきがある中で色々な事情でみんなホームレス。でも一定の収入が得られるようになると生活保護とか打ち切られる条件の中で、チーム運営が大変らしい。
そんな話を聞いて、もっと詳しく知りたいなあという気持ちが大きくなっているけど、余裕がなくて全然進んでいない。
N)興味のあるテーマは追っかけていくのも大事だけど、ハードな案件はそれなりに時間が必要だよね。

M)出発点の廣岡さんがホームレスのフリーペーパーを作っている「アジール」っていう団体があって、炊き出しとかやっているのだけれど、コロナ禍以降は廣岡さんも参加できていないって言ってた。
N)いろんなことに関心を持つのは良いことだけど、行動しないと理解できないこともあるからね。ましてやコロナ禍以降の世の中の変化は色々な場面で大きく様変わりしていて、全体像を掴むのが難しいと思うよ。
M)うんでもなんか興味のあるテーマとしての魅力を感じる自分がいてる。
ホームレスって言っても、生活保護を受ければ最低限の生活を過ごすことができる人もあえて、ホームレスの道を選ぶ人もいると聞いて、その本質を突き止めたいという気持ちがある。
人間の根源的な意思というか、他人に頼りたくないという考えや、生活保護ということ自体を受け入れたくないという様がそこにはあるのではないか。
とするならばホームレスながら路上で絵を描いたり、詩を描いたりしている人の存在に刺激を受けている自分があるのは、どこかしら全てを投げ捨てて創作活動を突き詰めようとしているっていう存在の怖さを感じているのかも。
そんな覚悟で純粋にものを生み出そうとしていることに憧れとまでは言わないけど、磁石で引き寄せられるような魅力を感じているのかもしれない。
N)すでにいろんなYouTuberが。
ホームレスを取り上げたチャンネルを立ち上げているよ。例えば「ホームレスが大富豪になるまで」とか。僕もたまに観る。
M)もうひとつ思うのが、お金を基準にした価値観に対する決別の意思としてのホームレスという生き方を選んでいる人もいるのでは。
お金とか名誉とかとは違うプライオリティがあるから、ホームレスを選んだ人もいる気がする。
N)ホームレスが大富豪になるまでの主人公はとても魅力的でお金に価値をあまり置いていない様子もみてとれるかなあ。

M)知り合いの作家さんの話なんだけど、生活保護の申請をした際に、「受理した後は今までのように絵を描いて稼ぐことはできませんよ」と言われたらしい。
稼ぐすべがないことを申請した以上、絵ではもう稼ぐことをしませんという意思表明をしたことと同義になるよう。それが生活保護認定。変な制度でもあるよね。
N)もはや意思の違いで認定されたりされなかったり、働く気を無くさないといけないように聞こえるね。
M)いろんな制度がうまく機能していない世の中だね。ホームレスという生き方だけでなく、これからどう生きるか大変な時代に入っているということだね。
N)自分の家を持たずホテル暮らしをしている人も広義ではホームレスと言えるから、それぞれの生き方や価値観の乖離幅が大きくなっているような気がする。

M)そうやね、いろんな制約にとらわれず自由自在に生きるという視点で見れば、住む場所にはそこまで固執しなくてもいいのかもしれないね。
N)好き勝手にすればいいのかも。
M)ちょっと強引な好き勝手だね(笑)
【会話の主】 登場人物

多屋 光孫(たや みつひろ)絵本作家・挿絵画家。和歌山県田辺市出身。3歳より田辺市の洋画家、故益山英吾氏の洋画研究所で絵を学ぶ。実家は本屋(南方熊楠ゆかりの多屋孫書店)。2015年8月まで二十ん年、普通に会社員(海外営業・広告宣伝など)をやっていたが脱サラし画家活動を開始。一般社団法人 日本出版美術家連盟理事(事務局長)

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