「ソイソース」についてのダイアローグ

対談

多屋光孫 M)今日は「そ」

濱中伸幸 N)損得、忖度

M)損得とか忖度だと、サラリーマン時代の話にどうしてもなるから却下

N)うーん、ソビエト

M)ソイソース

N)醤油やね

M)いや、ソイソース

N)じゃあ、SOY SOUCEでいこう。
最近知ったんだけど、我が故郷も醤油作りしている会社があるの知ってた?
中屋敷の小山さんとか、、、

M)小山安吉醸造元http://www.koyama-jyozo.com/
 中学の柔道部の2つ下の後輩に小山くんがいて、「家で醤油を作ってます」って。
随分と古くからある醸造元だよね。

N)そうそう、田辺に帰った時に、「とれとれ市場」で買った刺身醤油がとても美味しくて、調べたら小山安吉醸造元、中屋敷って書いてあった。
他にも田辺で醤油を作っている会社があって、天王醸造とか秋幸醸造とかある。

M)元はと言えば、湯浅(ゆあさ)が発祥。

N)金山寺みそと作っている時に仕込み方を間違えてできた「たまり」が元なんでしょ。

M)そうそう、湯浅の隣のまちの広川町は「稲村の火」が有名だけど、主人公は醤油を作っていた人。
1820年(文政3年)紀伊国有田郡広村に生れ、66歳で亡くなった濱口梧陵(ヤマサ醤油 7代濱口儀兵衛)

N)ヤマサ醤油って千葉で創業した会社だけど、代々和歌山と行き来していたらしいね。
たまたま和歌山に帰っていた時に大地震があって、大津波が来た時に、自分のイネを燃やして高台に避難誘導したのが、小泉八雲が物語にして有名になった。

M)そうそう、この間田辺に帰って寿司屋に入ったんだけど、ネタが新鮮で醤油と相まって劇的に美味かった。
やっぱり東京で食べるのとは全然違うよ。

N)田辺の魚はやっぱり全然違うね。

M)醤油でいえば、キューバのカストロの話ってしたっけ?

N)カストロ議長と醤油って聞いたことない。

M)昔取引先の水道工事やさんがいてね、その人もともと共同通信のカメラマンやってた時の話。
当時キューバは経済封鎖されてて世界から品物が入ってこない環境下にあった中取材に行ったんだって。
カストロが日本食が大好きで自国に作った醤油の工場を取材させてもらったらしい。
独裁者ってすごいなあって言ってた。

N)カストロ議長って野球好きで親日なんだね。

M)独裁者でもお茶目な独裁者だったらいいな。
キューバって国はなんか面白そう。車も古いアメ車が走っていたりするらしい。

N)社会主義国も現在は様変わりしてるだろうから、行ってみたいな。

M)この感じで「醤油」でいけそうかな。

N)よく言われる「目玉焼き」に醤油をかけるかソースをかけるか問題あるよね。

M)目玉焼きは塩の人もケチャップの人もいるよ。

N)カレーも醤油かける人とソースかける人いるよね。

M)ゆで卵は醤油かけると美味しいと思う。

N)焼飯を作るときの最後に醤油をまわしかける。

M)やっぱり香り付けにいいんだよね。
そう思えば万能調味料。イタリア人のバルサミコ酢みたいなもんか。

N)バルサミコ酢は色も醤油っぽいから。どちらも発酵食品系。

M)そう思えばアメリカはケチャップのイメージやなあ。

N)自分でチャーシュー作る時のレシピ。
豚バラブロックを水から30分ほどゆがいて、その後、醤油と酒だけを同量合わせて煮ると、とっても美味しいチャーシューができる。そして、ゆで卵を放り込んで冷蔵庫で1日つけると、これまた美味しい煮卵ができる。
ラーメンのトッッピングにつけると子供達も喜んで食べてくれる。

M)おーっ、ちょっとやってみたいね。
あと、アイスクリームに醤油をかけると、プリンアイスっぽくなるって書いてあるのを見て、実際やってみたらそこまでじゃなかった。でもアイスに醤油は合うぞって感じ。スイカに塩みたいに。そしたら、スイカに醤油は合うのかなあ。

N)スイカも瓜科だから、、、どうだろうね。

M)昔の梅干しって今みたいに甘くて食べやすいのがなくて、酸っぱかったから、うちでは砂糖醤油をかけていた。

N)えーっ(驚)

M)今はそういう食べ方しないけど、昔子供の頃は家の人みんなその食べ方してた。

N)ふーん。

M)あと小学生の頃、麦を食べようってなって、どうしたら美味しく食べれるかってなった時に、ノブちゃんの家で砂糖と醤油持ってきてかけて食べたの覚えてない?

N)うーん、流石にそれば記憶にないなあ。

M)一緒に宿題やりながら、国語の全文を移す宿題やりながら食べた記憶が蘇ってきた(笑)

N)まあ、うちの台所から砂糖や醤油や持ってきてお菓子にかけたり、実験しようって遊んでいた記憶は朧げながらあるなあ。

M)それが麦だったの覚えてない?

N)イヤイヤ(笑)なんでそこに麦があるの?

M)筆箱の中に入っていたんだよ。学校でもらったのを入れてたと思う。

N)すごい記憶やね。全く覚えてないわ。

M)まあ、日常の事件っていうか、、、じゃあ、あれば覚えている?塩ラーメン作ってたの。

N)それは覚えているよ、小学生だったけど自分たちで勝手に作って食べてた。

M)ラーメンといえばサッポロ一番塩ラーメンだった。醤油じゃなかった。

N)当時、サッポロ一番醤油ラーメン食べた記憶ない。最近、醤油ラーメンにカレーのルーを一欠片入れてカレーラーメンにして食べる。

M)カレーラーメン美味しいよね。

N)あと、味噌ラーメンに豆板醤入れて辛味を増して食べたりする。

M)そればよくやる。インスタントラーメンに豆乳入れたりなんやかんや入れて味変するの楽しい。

N)チキンラーメンにも豆板醤入れると美味しいよ。

M)チキンラーメンは卵を落とすベーシックパターンしかしない。少し麺が伸びてクタクタな感じのを、冷たい白ごはんと食べるのが好き。学生時代の甘酸っぱい記憶が蘇ってくる。

N)ラーメンの基本は醤油味。

M)そういう意味ではサッポロ一番の醤油ラーメンは存在感ないよね。

N)最近は豚骨らーめんよりも、豚骨醤油がベースのラーメン増えてきたよね。

M)和歌山ラーメンも昔は大きく取り上げられてなかったのに、豚骨醤油とか言い出して、和歌山ラーメンとしての地位を築いた感あるよね。

N)井出商店さんとかね。

M)豚骨ラーメンも昔はそこまで有名じゃなかったしね。

N)マルタイらーめんとか。

M)醤油からラーメンの話題で盛り上がったね。もとはソイソース。ソイソースも醤油ソースの略と思っていたら、ソイ=大豆なんだよね。

N)それを言うなら、僕もシーチキンを海のチキン(鶏肉)って理解できてなかった。シーチキンははごろもフーズの商標登録。

M)アメリカにいた時、T U N Aってビンに書いている水っぽいシーチキンがあって、ピクルスとかと混ぜて食べたんだけど、シンプルにシーチキンを食べたかった記憶がある。

N)T U N Aはマグロだよね。

M)カツオは?ボニート(B O N I T O)

N)カツオは鰹節という日本の出汁文化を担っているよね。

M)関西が鰹節 関東が昆布やったけ?

N)逆やと思う。

M)関東関西でいえば、関東の納豆文化に触れたときは衝撃的だった。

N)今でこと関西でも匂わない納豆としてたくさん売られているけど、昔は納豆を食べる文化がなかった。

M)初めて納豆を食べた時はびっくりした。ぐるぐる掻き回して、こんなおしゃれな食べ物初めてみた!って思った。高校生くらいの時やったと思う。
醤油とか味噌とか鰹節とか納豆とか日本は加工食というか発酵食というか優れた食べ物が多いなあ。発酵食品といえば、チーズもそうなんだね。

N)漬物とチーズ合うよね。それを肴に日本酒も合う。

M)昔漬物に醤油をかけてて、それって和歌山特有の茶粥を食べる文化からきてると思うんだ。茶粥に味がないからね。

N)茶粥を「おかいさん」と呼ぶ田辺のソウルフードだから。

M)東京で漬物に醤油をかけているのを東北のやつがそんなにかけて辛くないのって言われたことあるけど、癖でかけてしまう。

N)仙台の牛タン屋さんの漬物なんかはそれだけで十分塩味があるから。山形で食べて漬物も美味しかったなあ。信州の野沢菜も。

M)何にでも醤油をかけてしまうのって癖かもしれないね。

N)最初の話に戻るけど、美味しい醤油を使うと全てがグレードアップするから、ぜひ田辺の醤油をご賞味してほしいね。

M)今度田辺に帰ったら、忘れずに買って帰ることにするよ!

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【会話の主】 登場人物

多屋 光孫(たや みつひろ)絵本作家・挿絵画家。和歌山県田辺市出身。3歳より田辺市の洋画家、故益山英吾氏の洋画研究所で絵を学ぶ。実家は本屋(南方熊楠ゆかりの多屋孫書店)。2015年8月まで二十ん年、普通に会社員(海外営業・広告宣伝など)をやっていたが脱サラし画家活動を開始。一般社団法人 日本出版美術家連盟理事(事務局長)

濱中 伸幸(はまなか のぶゆき) ブランドクリエイター。和歌山県田辺市出身。実家は紳士服店。
元百貨店婦人服バイヤー。2011年株式会社ハッピーアイ設立。エンカラージオンラインショップ企画運営。ファッション専門学校非常勤講師

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